子を易(か)えてこれを教(おし)う
親子の問題というのは昔から尽きることはない。それは家庭教育 の場でも、経営の中でも同じだ。
二千数百年前の公孫丑(こうそんちゅう)と孟子のやりとりだ。
「昔の君子は自分の子を友人に預けたというが、それは何故でしょう か」と公孫丑は孟子に訊いた。
「子が悪いことをすると、親は腹を立てて感情的になって叱る。 そうすると子も感情的な叱りに反発して口答えをする。『口では 立派なことを言いながら、やってることは全然違うではないか』と。 それが続けばやがて言うことをきかなくなり、挙句の果てに親子の 情愛が崩れてしまう。親子の離反ほど良くないものはない。だから 昔は子を交換して教育をしてもらい、親子間では厳しく指示をした り強制はしなかった」こう孟子は答えている。
これは現代経営にも通じる言葉だ。 親子というものは近いがために遠慮がない。「我が子だから」という 理由で強制したりする親もいれば、「親の愛情」を散々受けたのにも かかわらず我が儘になる子もいる。だから、「学業を終えたら三年間 は他人の釜の飯を食わせる」ということが行われている。親の目の 行き届かないところで苦労を経験させる。会社に入っても同じだ。 親は子を教えられないし、子は聞く耳を持たない。 孟子は、「強制することは、親子間ではなく友人同士でやることだ」 とも述べている。だから、同期、先輩、上司の存在が重要なのだ。 間違ってはいけない。
親から見たら、子はいつまでも変わらないように見えるものだ。 あれこれ口出しもしたくなるだろう。それは自分も通ってきた道 ではないだろうか。それが歴史だ。だから二千数百年前から相も変わ らず同じことが言われている。
立場的に親子の相談もよく受ける。 「牟田 學会長は凄いですね。交代して全く口を出されないで」など と言われる。贅沢かもしれないが、何も言われなかったらそれ で不安にもなる。同じような社長が、「何故、何も言ってくれない ですか」と会長に訊いたことがあるそうだ。そうしたら、「お前が天才 だったら何も言わなくても分かるだろうし、馬鹿だったら何を言って も無駄だからだ」と言われたそうだ。 「太陽さん、牟田學会長に『もう来るな』と言ったそうですね」など という根も葉もない噂を言われたこともある。事実無根だ。噂と いうのは怖いものだ。
親子の情は全てを超えるものである。それを崩してはいけない。 そして次の代にも変わらず情を引き継いでいただきたい。